2005年01月01日
プロフィール
バカボンこと山本隆のプロフィール
1962年 | 大分県臼杵市生まれ。 |
1981年 | 琉球大学教育学部入学。 卒業後,佐賀県伊万里市障害児統合保育一粒園、大分県別府市養護施設白菊寮を経て、 なかま学童クラブ(浦添市)で1997年度まで勤務。 |
1998年 | 不登校児童の居場所[子ども村]を設立。 |
1995年 | ONE(沖縄自然体験)ネットワークを設立 |
2000年 | 学童クラブわんぱく家を設立。 現在、南風原町を拠点に活動中。 (小学校内遊びクラブボランティア、子育て講演、環境教育プログラムを使っての授業、あそび出前授業、プレーパークを作る会代表、などなど) |
「あそび」「仲間」「自然」をテーマに昔ながらのローテクの遊びや自然体験を通して、地域における異年齢の仲間づくり、遊び環境づくりを親達と進めている。
●著書「よくあそび よくあそべ」(ボーダーインク社) 1,000円
僕らが子どもの頃。学校が終わると子ども達が毎日群れる場所があった。そこに行けば必ず誰かがいた。ちびっ子から高学年の兄ちゃん達まで揃っていた。山や川への探検、くわがた探しの場所、汗をかきかき走り回る遊びの数々も兄ちゃん達と遊びながら一つひとつ教わっていた。おやつ代わりに口に放り込んだ木の実はうまかった。塾や習い事なんかほとんどなかった。日暮れが迫るまで,時間を忘れて遊んだ。毎日毎日。5~6年生の頃が遊びが一番充実していた。仲間との思い出が無数に創られた。明日が楽しみでワクワクして布団に入った。仲間がいた。自由だった。工夫していた。いたずらもしていた。走っていた。汗をかいていた。笑っていた。楽しかった。
多分、人類誕生以来、脈々と受け継がれてきた地域での『こどもあそび文化』が途切れてどれくらいになるのだろう。その頃を境に『子ども達の荒れ』がいろんな形で噴出し始めたような気がする。自分の少年期があまりに楽しすぎたせいか、子ども達と関わる仕事について早12年。ONE(沖縄自然体験)ネットワークはいろんな自然体験を通して,子ども達や親達が元気になってほしいと願って活動を続けています。やんばるの川歩き、ケラマでのシュノーケリング体験、野草の食学、与那国での乗馬をメインにした冒険学校、南富良野での雪国体験の冒険学校など様々な自然の中での遊びを織り込んだプログラムは年間20ほどあり、一般募集で行われています。今年度は約600名の方が参加されました。
伝承遊び(こま、けん玉や凧づくりの指導)や、集団遊びの指導にPTAや保育所、幼稚園へ出かけたりもしています。沖縄リサイクル運動市民の会と共に進めている『環境教育授業づくり』では、買い物とゴミをテーマに学校への出前授業も少しづつ始まっています。このような活動に加えて,2000年秋からは日常活動として小学6年生までを対象に『ローテク遊び おもしろ学童クラブ わんぱく家』を開設しました。昔ながらの地域での子育てを父母主体型で楽しみながら創ってゆけたらと考えています。子育てを出しに、親同士が友達になり、大いに遊べる場所も必要だと思います。
人も自然も地球も元気を失いつつある今,もう一度《人と自然》《人同士》の関わりを見なおしながら、『あそび』・『仲間』・『自然』をテーマにみんなが元気になっていく活動にこれからも取り組んでいきたいと思います。みんなで夢のある21世紀を創りたいですね!
とるとネパール行った。